車のラジエーターがオレの懐に多大な被害をもたらし直ってきたのでスナフキンの様にさすらってきました。
おさーびしーやまよー
実はその前の日もお天気が良いので一人蒲生の日和山までお昼を食べに行きました。
もうすでにそこには山らしきものは存在しませんが、確かにそこには山があったのです。
きっと東北の沿岸にはこんな場所がいっぱいあるのでしょう、仕事もないし車も直った軽油も安い
そうだ南へ行こう!と翌日車を南へと走らせました。ブロロン
震災後この4年さっぱり行って居ない6号線に乗ってまずは南下。
そう言えば県南の被害も相当なものだと以前お友達から聞いていたので、6号線から海側に曲がって走って見ました。
行ってみると、なんとも思いのほか酷い状況でした、とりあえずガレキは無いもの堤防以外は手つかず、
学校のみがポツンと残っていて四方更地になっています、道路のわきには何らかの土台があるのでおそらく
住宅地であったのでしょう、以前の状況はわかりませんが草木のあまりなくときおり走る復興の為のダンプが
砂を巻き上げ走り去ります。とにかく何もない。
このまま海側を走って福島に入ろうと思ったのだけども、通行止め。なので6号線に戻る。ブロロン
福島県に入って真っ先に見えてきたのが新地発電所。
石炭火力フル稼働、すっかりCO2とか地球温暖化?の問題なんか無かったことになって居ますが、
どうなんだろね?と思ったり。ちなみに最初に言っておきますオレは原発は必要派です。
その後相馬の道の駅で脱糞の限りを尽くし、さらに南下。
徐々に車の大来が少なくなってきたなぁ、と思ったらピンク色の除染中の文字が風になびいています。
ムムム・・と思いながら走って居ると警官が立っていてそこから先は帰宅困難区域との事、正直衝撃的でした。
人が住まないとこんなにも町は荒むのかと、とにかくどこかしこも地震の被害そのままで、所々に人が立っていて
横道に許可なく入れない様にしていました。
6号線沿いの民家には一軒一軒ゲートが設置されていて、なんつーかたまらない気持ちになりました。
うちからおおよそ100Kmぐらいでこんな光景があったとは、なんとなくニュースでは見ていたし、ネットでも
見ていたのでおおよその検討はついていたつもりだったけども、あまりに悲惨な現状でした。
4年間見てみないフリをしていたのですね。
富岡町に入るとまた除染中のピンクの旗が出てきて、住んでいたり居なかったりの住居も見え始め
さらに行くとコンビニがあったので、そこで休憩した。
さて、どうしよう。さすらっては見たものの特に予定もない旅、しいて言えば今走った道を走る事が
予定していた事なので、よし喜多方へ行こう。と思った。ラーメン食べたいし、だけどもアイホンで調べてびっくり。
なんとも喜多方付近まで行くにはいわきまで行き郡山を経て行かなければならない、のーぅ。
引き返すか、それとも強行するか、判断に迷ったのです運転はあまり好きじゃないので相馬まで戻って
そこから土湯温泉あたりに行き土湯の道の駅で一泊しようとほくそ笑んだ。
ホクソエンダー けどもただ来た道を戻るのも無駄なので車にデジカメを設置して戻る事を閃いた。
まだ実際にこの道を通った人も居るであろうし、なによりこの帰宅困難区域の距離を感じてもらいたい
でも浅い閃きなのでさっき見たら、ただでさえ人が居なくなった町を見るのが辛いのだけども
ブレブレでノイズだらけで二倍見ているのが苦痛な映像でした。
同じように動画を撮っている人が居るのでそちらを見たほうが良いのかもしれませんね。
福島第一原発がちょっと見える。やっぱりちょっと怖ひ。
その後南相馬まで戻る途中で何か食べないと、と思ったのですが周辺のお店は変わり果てた姿で閉まっていて
仕方がないので見つけたスーパーマーケットでお弁当を買おうとしたら、なんらかの安売りデーでレジに行ったら
物凄い込みようだったので、向かいのセブンイレブンと言うお店に入ってイカフライにタルタルが付いたお弁当を
買って車の中で食べた。芳醇な香りでまろやかな口当たり、それでいてタルタルを付けてから口に運ぶとまるで
性格が豹変する斬新なお弁当でした、たいへんおいしゅうございました。
その後、良くわからない道を通って福島市にでました。こんなんでました。
休憩しながらアイホンで土湯の道の駅を調べているとなんと標高800mとか書いているではないですか?
いやいや、そんな標高では一気に気温も下がるってものです。そんなところで車中泊なんかしたら凍るわ!
ダメだ却下だ却下。行けるかそんなとこ!
という事で、なんだか寂しい気持ちになってきたのでなんだか愛を求め米沢へ向かった。
13号線の米沢への峠越えは恐ろしい事に雪が鬼の様に積もって居ました。
まぁ峠だし先日も男峠と言うラーメンを食べてやられたので、目的地に着けば無事収まるだろう。と
だろう運転を続けて米沢に着くと、もっと雪が積もってました。・・・
さらに米沢の道の駅を目指そうとすると、さらに積もってて、こっちはノーマルタイヤなのでビビッて
引き返しました。なんつーか仙台と福島の天気予報見て
「よし今夜も6度ぐらいあるし」と南下したのに、
なんでオレは今山形に居るんだ?と自問自答しましたが、答えはずっと奥の方心のずっと奥の方にあるので
出てきませんでした。
もう外はってか車の中も真っ暗です。仕方がないので米沢よりも雪が少ないであろう高畠へ向かった
高畠と言えば数年前に高畠ワイナリーで炎天下のなかライブしてアンプの黒い取っ手でやけどしそうになったぐらい
熱い町だった、はずだ。
アイホンのナビで進むと、寂しいほう寂しいほうに向かう・・
え、・・?道の駅ってだいたい大きい通りにあって周りにもなんかちょっとしたお店とかあるんじゃないの?
なんだかとても寂しい道を走らされるので、このままお店もなく道の駅に着いたらどーしよう・・と不安になって
一度大きい通りに戻り、コンビニでカラムーチョとビールと焼酎とおにぎりを買い、ナビの指示に従った。
すると、やはり先ほどの寂しい道を進めてくるので、信じたまま進むと大通りに出てスーパーとかあった。ぎゃふん
でも、もう後の祭りなので見なかった事にして道の駅到着。
ブル 寒っ・・・
もう飲んでるしかないので車の中で寝る準備をして男梅サワーで
オレに乾杯!よーし生きて帰るぞ!
いい具合に酔っぱらってきたので歯磨きシュシュシュして横になってエッチな事考えていたら
アイホンから変な音が聞こえてきました。見てみるとメッセンジャーがメッセージを来たと訴えています。
訴えるぞ!
見てみると某友人というか過去に一度対バンをして1度盃をかわし、一度山形でやったライブに来てくれた
ナベさんだった。
正直10年以上ぶりだったので、なんだべな?と思ったのですが、どーやらFB(ファーストブレイク)じゃなく
フェイスブックで写真を見て高畠にオレが居ることをエスパー並にキャッチし、連絡をくれたのでした。
しかも彼はここの出身者だったようで、なんと。飲みに誘ってくれたのでした。スゲー
でも、オレと言えば先ほど一人何かに乾杯をし、寒さ対策を施し、二度目の放尿も済ませ寝る準備万端。
このまま車を運転したら飲酒運転になっちゃうし、何より寒さ対策のために着込めるだけの服を着込んで居たので
厚着しすぎ罪とかで捕まりそうです。
状況を説明すると、なんと迎えに来てくれると言うのです。いい人だよ。
また連絡します。とメッセージを確認したのですが、いかんせん寝る準備万端だったので、寝てしまいました。
するとブロロロンとまるでスターレットをフルチューンしたような車の音が聞こえたので、起きて外を見ると
ナベさんとそのお友達が迎えに来てくれました。
早速着替えて、10数年ぶりに会えた喜びを伝えた。
お友達の彼のスターレットはメチャメチャいじってあってロールバーとか組んでてメチャメチャかっこよかった。
焼き鳥屋さんまで送ってもらい、お友達は颯爽と去って行った ありがとう。
そこからはナベさんとなんだかいろいろな話をしてだいぶ遅くまで飲んでいた気がします。
とにかく久し振りすぎて覚えていることが少なかったけどもとても楽しい時間を過ごさせてもらいました。
まさか偶然高畠の道の駅に泊まることになったのに、誘ってくれるなんて・・と感動もひとしお。
さらには奢ってもらっちゃって、年下なのにいい人すぎだった。
以前も思った事だけどもお隣の県なのだけど山形の人ってホントに人情に熱いというか、
素晴らしい気質をもっています。おごってもらったからこんなことを言うのでなく、震災の時とかも
山形のバンド者たちが結構な物資を迅速に届けてくれたというのを、各方面から聞いていたし、
以前10年以上前にサラリーメンやっていた時の後輩もいまだに連絡をくれます。
そういうのって案外できそうでできないものですよね。
とにかく人の温かさに触れた夜でした。
その後タクシーが来たので
「道の駅まで」と告げると運転手さんは
「えっ??道の駅ですか?高畠の?」とか
挙動不審になっていましたが、オレがさすらいの旅人だと感じ取ったらしくその後は話しかけてこなかった。
なんだか記憶がないけどタクシーで写真とってたみたい
左がナベさんです。
タクシーを降り、お金を、ここは、ここだけはオレに払わせてくれと頼んで、払った。払ったときには、
もうわやになってて財布の中身が全部出ちゃってカードとか保健証とか握りしめたまま、ナベさんと抱擁
ありがとうと伝えお別れ、車に乗り込むともう記憶がない感じで寝ちゃってました。テヘ
つづくかな、